谷に現れたその男は、赤褐色のローブをまとい、背にはネギのように細長い杖を携えていた。年齢は不詳、しかしその眼差しには人智を超えた深みが宿っていた。
ヒカル『ラーユ……!? 本当に……君なのか!?』
リョウヘイ『兄さん、この人を知ってるのか?』
ヒカル『ああ……かつてクジョウで修行していたとき、ほんの一度だけ出会った。ネギの精霊の末裔、“ネギ守”と呼ばれる者の中でも伝説の存在……』
ラーユ『俺は“発酵”と“腐敗”の間を見届ける者だ。そして――今、お前たちの選択が、この国の未来を決める。』
黒菌の王フレグマータは咆哮を上げる。
フレグマータ『ラーユ……貴様か……我が腐敗の理を妨げし裏切り者よ!』
ラーユ『腐敗は滅びではない。だが、意志なき分解は命を否定する。俺は“旨味の道”を守る者……』
そう言ってラーユが杖を振ると、空中に複雑な模様の光が走り、発酵と腐敗の狭間を彷徨う“瘴気”が一時静まった。
チョビ『す、すごい……まるでキムチの匂いが消え……いや、より旨そうになったような……!?』
ラーユ『この結晶“解発酵結晶”を使えば、フレグマータを封じることができる。だが、それを使うには兄弟――ふたりの“心の調和”が必要だ。』
ヒカルとリョウヘイは顔を見合わせる。
ヒカル『僕たちの……心の調和?』
ラーユ『そう。ネギとキムチ――栄養と発酵、熱と冷、塩と辛――すべては対極が融合して完成される。この国も同じだ。』
リョウヘイ『……僕はずっと思っていた。兄さんは何でも出来て、僕なんかいなくても……』
ヒカル『バカを言うな。俺はずっとお前を頼りにしてた。リョウヘイ、お前が王国を守ってくれたから、僕は“宝石”を見つけられたんだ。』
リョウヘイ『兄さん……!』
ふたりの心が交わった瞬間、結晶が淡く光を放ち始める。
その光がラーユの杖を伝って放たれると、フレグマータの周囲を取り囲む“結晶の輪”が生まれた!
フレグマータ『ぐぉぉぉおおおお!!我が腐敗があああああ!!!』
ラーユ『今だ、ヒカル、リョウヘイ――“調和の名”を叫べ!』
ヒカル&リョウヘイ『ネギキムチ――融合!!』
激しい閃光と共に、フレグマータの肉体は分解され、光の粒となって空に溶けていく。そして静寂が戻った谷に、ふたたび微かにネギと香辛料の香りが漂った。
カグラ『終わったんか……?』
フジ『怖かったぁぁ……あ、幻覚が消えましたぁ……』
ラーユ『これで一時は安定するだろう。だが気をつけろ。この世界にはまだ、発酵の力を乱す者がいる。』
ヒカル『ラーユ、君はこれからどうするんだ?』
ラーユ『俺には見届けるべき他の地がある。この世界の“調和”が崩れぬように……だが、最後にこれを――』
そう言ってラーユは懐から小さな瓶を取り出す。中には、ネギとキムチを絶妙な比率で合わせた“赤緑の液体”。
ラーユ『これは“融合の元”。国に戻ったら、これを使って“最後の一皿”を完成させろ。それが……母君の病を完全に癒す唯一の料理だ。』
ヒカル『……ありがとう、ラーユ!』
ラーユ『では――また、うま味の深き場所で会おう。』
風と共に、ラーユの姿は霧のように消えていった。
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次回――『最後の一皿』
兄弟が持ち帰ったのは、“命のレシピ”。
王国で待つのは病に伏す母、そして、王国の“選択”。
兄弟は、そして国は、どの皿を選ぶのか――。